2011年3月30日水曜日

話題の

"AC~♪"のポポポポ~ンですけど。
短いのと長いのあるけど、早い段階で息子が「あ、やるよ!」と長いバージョンを見分けて(聞き分けて)いた。
え?何なに???
「チャランってなる」って言うんだけど、「最初にさ」と、そこまでヒントを出されても全然わかんなかった。
録画されているのを繰り返すのもなんとなく悔しいので(そんなことしなくても繰り返されてるけどね)、そのCMに集中した。
あ~、わかった。
翌日に^^;
チャランね、チャラン♪

一夜明けて

3/12
ラジオで公衆電話はつながりやすくし、しかも無料になると言っていたので、一人で先にご飯を食べてすぐ出かけることにした。
(因みに昨日の残りのご飯を、キッチンシート?を敷いたフライパンであっためて食べた。少しおこげみたいなのが出来ておいしかった。皿に残っていたグラタンも、これであっためた)
7:30頃、郵便局の公衆電話に車で行った。
福島に夫のお母さんがいて、問題の福島第一原発に近いのだ。親戚も多い。
電話をかけてみたが"かかりにくい地域"でつながらない。
関東にいる夫のお姉さんに電話してみた。つながった。
話によると地震直後に電話で話したそうで、近くの避難所に行くと言ってすぐ電話を切ったらしい。
とりあえず、お母さんのことは安心。
でも海から3㎞の所まで津波が来て、県道沿いの民家は全滅って言ってるって教えてくれた。
お母さんのところは国道だから大丈夫・・・とは思いつつ、いったいどうなってるの?と不安が募る。
関東も夜中まで停電してたって聞いて驚いたし。
とにかく、福島のお母さんのところはわかった。

次は石巻の親戚だ。
家の電話といとこの携帯電話を教えてもらったのでかけてみたけど、当然無理だった。
試しにいとこの携帯電話にショートメールを送ってみたけど、会社が違うのか、送れなかった。
保留。

次は、本当はこの日に母がヘルニアの手術の為入院するはずだった病院にかけてみた。つながった。やっぱり公衆電話はつながりやすいんだ。
病院も一部壊れているので来週また電話をくださいと言われた。

電話の用事は、とりあえず以上。
(無料ではなかったね。避難所などの特設の公衆電話は無料ということなんでしょうね)
公衆電話に行く道、実は"あ、そうだ"と仙台に小学校の同級生がいたことを思い出していて、ショートメールを送っていた。
帰り道、まだ返信が無かったので心配になり、その友人宅に寄った。
お父さんがいて、まだ連絡が取れていないと言った。う~ん、心配。確か街中だと思ったから津波は大丈夫だろうけど、電気やガスが止まって、大変なことになっているのでは?
家に着いた頃返信があり、無事だと知ってほっとする。

母の姉が宮城で一人暮らしなので心配なので様子を見に行ってくるといって、父と2人で出かけていった。
私は子ども2人と一緒に留守番。
といっても停電なのでコタツも無いしテレビも無いので、ちょこちょこと家の中の片づけをしていた。
ふとした時に、水の出が悪くなってきたことに気づき、給水所に行く準備をしなきゃなぁと思い始める。
母に電池と水用タンクを買ってきてとメールする。
母達は昼少し前に帰ってきて、もちろんメールなんか見てるはずもないので・・・食料の買出しを兼ねて私が出かけることにした。
途中の公民館が給水所になっていることを確認しつつ、いつものスーパーに行くと、店先にテントやコンテナを出して臨時営業をしていた。
豆腐・油揚げ・ガムテープ・魚・ふりかけ・ペットボトルのお茶など少しだけ買う。レトルトなどはもう、とうに売れてしまったらしい。
すぐ隣にホームセンターがあるんだけど、臨時休業していた。中が大変だったのかな?
そういうことでたいして用事を済ませられたわけでもなく、お店やガソリンスタンドが閉まっているという不安な情報だけを家に持ち帰った。

この時点で、まずは水が心配。
タンクの替わりに大きなバケツにきれいなゴミ袋を入れて、それに水をいただくことにした。
公民館でいただいたのだが、その時職員から学校の臨時休校の案内をみんなにしてくれと頼まれた。
15日までは臨時休校。詳しくは14日に学校経由で再度連絡があるとのこと。
帰り道にPTA会長の家があるので相談して進めますと、引き受けた。
結局会長と私から地区会長と学年会長にメールで連絡した。
この件はそれで終了。
とはいっても、全て終えて家に帰ったのが16時頃かな。
ガソリンがあと100kmちょっと分しかないので、水をもらいに行ったりというような大事な時にだけに使おうと決めた。

春といってもまだ朝晩は寒。
普段から反射式のストーブを使っていたのでそれは困らないけど、コタツが無いとやっぱり寒い。
ところが家には、以前使っていた練炭が十分に残っていたので、夕方にコタツの仕様を変えることにした。
コタツは小さくなったけど、あったかい!
暖房といえば、寝る時。
両親は電気毛布だけど、私はあまり好きではなく、普段から湯たんぽ。
小さい頃は豆炭の"あんか"だったから、なんか、湯たんぽの方がしっくりくるのだ。
それでもこの日は、水がもったいないので湯たんぽから出したお湯をもう一度沸かしてまた入れた。

18時頃だったかなぁ、道を挟んだ斜め向かいの家の人が来て、そこの家の自家発電を使って電気を分けてくれた。
その家を含み4件に分けてくれたのだ。大工さんなので発電機を持っているし、軽油もまとめて買っているから大丈夫だと。
そっか、電気炊飯器の家もあるもんね。食事時の電気は助かる。
本当にありがたいことです。
ま、我が家はガス炊飯器だからそこは大丈夫。
普段はレンジを使うところだけど、おかずを暖めるのも鍋でやってもう済ませていたから、この日は食卓を照らす電気で使わせていただいた。
ヘンにはしゃいでいる子ども達を19:30に寝かす。あ~やっと静かになる。


ラッキーだったのは、9日だったか10日だったかに、車の、ライターみたいな、そこんとこに挿して使う携帯電話の充電器を買っていたことだった。
ちょっとした買出しや、母たちも親戚の家に行く時などに車で充電することが出来た。
圏外になることもあるけど、地震直後でもメールだけは使えていた。
だから地震直後も遠く離れたところにいる大切な友人からメールをいただいた。
元々図太い私だし、1日目2日目はまだまだよく把握していないから"大丈夫だよ~~"なんて返信していた。
結局はこんなすごい地震とわかり、そうやってたくさんの方からいただいたメールが、毎日の心の支えとなっていったのです。
充電器を買っていたことは、いっつもタイミングの悪い私からすれば、本当に今年の運を使い果たしたか?と言うほど、ラッキーだった。

2011年3月29日火曜日

昨日のことだけど

地震後、初めて食パンを買った。
夕方スーパーに行った時、息子の同級生のお母さんとひとしきり話して、さあ何か買い物をと思い横を見たら、ずらっと・・・いや、多分20袋くらいと菓子パンが20個くらいだと思うけど、そんなに並んでる食パンを久しく見ていないので、ちょっとびっくりするほど並んでいるように見えただけです。
ちょうどパンみたいたいな、ふわっとしたものが食べたくなっていたので、すかさず2袋つかんでしまった。

今日他の人にきいたら、そのスーパーではおとといくらいから棚に並ぶようになったって言ってた。
数は少ないのですぐなくなると入っていたけど。時間にもよるし。
お店によっても事情が違うようですね。
2週間くらい前に買いに行った時は「パン入りました~」の声の後「1人1個です」を4・5回繰り返すだけで売り切れていた。
だいぶ落ち着いてきたかなぁ。

とにかく、朝からの子どもとのバトルやら甘いもの・フワフワもの切れで、今日はパン系しか食べてな~い。

2011年3月27日日曜日

相変わらず

あんまり新聞もニュースも見ていないので今回の地震の正式な呼び方がイマイチわからない。
"東日本大震災"でだいたいいいのでしょうか。
ウチの読売新聞では"東日本巨大地震"となっていますが。

そんな状態ですけど、死者が1万人を超したことくらいはわかっています。

東日本大震災に被災された方々へ心からお見舞い申し上げます。
そして、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り致します。
今生きている私達一人ひとりが、手を動かしていること、足を動かしていること、思いを寄せていること・・・その一つ一つが、確かな一歩であることを信じています。


地震直後、まさか阪神大震災の死者を上回るような大震災になるなんて、思いもしなかった。
岩手宮城内陸地震は経験していないけど、その復興の様子は近いところで見てきたし、阪神大震災や中越地震等の様子もテレビや新聞で見てきた。
被災者の話も直に聞いたこともある。
小学生の頃宮城県沖地震で図書室の本がばらばらと落ちてくる中で頭を抱えたり、道路の縁石が浮き上がっていくのを見たりした。
今回の地震も、その一つだと思っていた。
それは、その日はまだ水が出ていたからかもしれない。
でも、家族が集まり、ラジオをつけると、「そんなに・・・」と絶句してしまった。
だってラジオのアナウンサーは『陸前高田市は津波で壊滅状態です・・・』と、それを繰り返すから。
他の街も津波で大打撃を受けているって。
でも、壊滅状態って、何なのよ?
この日は雪も降って、日が長くなったのを感じ始めた頃ではあったけど、だから早く暗くなっちゃった。
そんなこともあってなのか、とにかくラジオでは『壊滅状態です』を繰り返すばっかりだった。

でも、この時点でも、まさか死者が1万人を超すなんてまだ考えていなかった。


もう一回戻る。

2011年3月11日(金)14:46
畑のバイト中だった。
ハウスの中でちぢみ菜を収穫していた。
すぐ山になっていて、そこにいるキジが鳴いた。
私は「サンタ(そこで飼っている犬)、また追っかけてるのかな」と言ったら、ハウスのオーナーが「地震だ」と言って携帯電話を取り出した。
そしてすぐだった。グラグラっときて、なんか畑が割れていくんじゃないかと思うくらいゆらゆらと回るように揺れたような気がする。地響きもドドドドっていうかギギギギっていうか、普通もう収まるだろうと思う頃にまたグラグラと揺れる。長かった。
でも、おじさんもその時はたいしたことないって思ったんだろうね。「休憩すっぺ」って小屋に行くことにした。
私は、息子が風邪で学校を休んでいるから、ばあちゃんがまた用足しでいないかもしれないし、一応様子を見てくると言って車に乗った。
帰る道はなんとなく静かだった。私だけが急いでるのかなぁと思うほど車もそれほど走ってはいなかったし。
家に帰ると息子はゲームをしてたし、ばあちゃんもいて「ずいぶん揺れたなぁ」と、そんな会話だけした。
皿もコップも壊れていないということなので、ひとまず畑に戻ることにした。
学校を通るのでちょっと背伸びをして見たら、校庭に先生の姿が見えたので、立ち寄ることにした。
既にお母さん達が数名駐車場にいる。子ども達は校庭に避難していた。
泣いている子もいるので背中をさすってあげた。
校長先生が「まだ地震が続きますが、そういうものです。落ち着いて行動して」と言い、保護者とともに急遽下校することになった。

私はさっきからずっと携帯をちらちら見ていた。娘が通っている保育園からメールがくるかもしれないと思って。その時点でメールはまだきていなかったけど、あとで時間などを見ると『迎えに来て下さい』メールが既に送られていたのかな。もう通信の異常が始まっていたんだと思う。
とにかく、再び畑に戻ることにした。
15:25頃だったと思う。
おじさんは「もう携帯通じないな。悪いけど今日はこれで止めにするから。もう休憩室めちゃめちゃだから。家の方にも行って見ないと。」と言う。
なんか、ちょっと「もしかしてすごい地震?」と思い始める。
「じゃあ保育園に行かせてもらいます。」と保育園に向かう。
町を通る時信号機が消えているのを見て「やっぱり大きい地震なんだ」と思い、ガラスが割れている戸を見て「ヤバイよ」と思い始める。
他の車の走り方を見ても、なんとなく焦っているような気がするし。

保育園では昼寝の終わり頃に地震だったから、子ども達はパジャマのままで園バスに避難していた。
娘は怖がっている風でもなく、先生に抱っこされながら連れてこられた。
「いっぱい地震だったから、布団にもぐった」と教えてくれた。
落ち着いているので帰りにもう一度学校に寄ることにした。
息子の担任の先生がいたので「何か必要なものありますか?」ときいてみたが、「今最後の児童を送りに行ったところなので、大丈夫です」と答えていた。
その時石巻の大学に通っている息子さんからメールがきたみたいで「良かった~」とほっとされていたが、あとでラジオやテレビで石巻の様子を知った時は、本当にほっとされただろうなぁと思う。
学校の向かいにある学童に行くと職員と子どもたちが外にいた。
念の為建物内には入らないのだろう。でも雪も降っているし寒そうなので「毛布持ってくるね」と言って、一旦家に帰ってから毛布を届けた。

そんなこんなで夕方、家族全員揃い、電話・電気が止まっていることがわかり、出来るだけの準備をしたら寝ようと、それぞれ動く。
ろうそくの灯で夕食の準備をしながら、ラジオで津波がきたことを知り、陸前高田市が壊滅的状態であることを聞く。
電池とか、もう少し買っておいた方が良さそうだなぁと思い、18:00頃、ローソンに行った。
駐車場が、もう満杯だったし、店の中も20人位はレジに並び、それ以上に人がいた。
真っ暗だったので電灯を持ってくれば良かったなぁと思いながら電池売り場に行くと、もう普通の電池は売り切れていた。
これはヤバイと思いながら農協(Aコープ)に行くと危ないからと閉めるところだった。その先の小さなスーパーでとりあえず電池を買って家に帰ることにした。

余震も何回もあったし、停電しているし、ラジオでは陸前高田が・・・と繰り返すので、これは大きな地震なんだ、ものすごい被害が出ているんだ、とは理解した。
でも、我が家はLPガスだし、この時はまだ水が出ていたので夕食もごく普通に食べ、おまけにお風呂にも入った。家のお風呂は薪なので水さえくれば大丈夫なのだ。
だから理解と実感は、全くベツモノで、「まぁ、明日になればだいたいわかるだろうから」などと思いながら寝た。大きな余震が何回もあったけど、子ども達もぐっすり寝ていたし。私に似て本能が弱いみたい、などと思いながら。

けど、あの地響きみたいなのはいつもの地震とはずいぶん違うなぁと、それだけは感じていた。

2011年3月26日土曜日

★★ 御礼 ★★

東北関東大震災後、たくさんの励ましのメールをいただきました。

本当にありがとうございます。
無事で・・・いや、いつも通り元気でいます!


こちらでのご報告が遅くなってしまって、申し訳ありません。
家電話は数日前から安定していたのですが、なんか、このインターネットがあんまり良くなくて。

私が住む地域は岩手でも内陸なので、被害は本当に少なく、特に我が町は少ないと思います。
停電・断水などはありましたがLPガスなので調理は出来たし(つまり温かい食事が出来ました)、すぐ近くに大工さんがいたので3日目だったかから数時間の自家発電を分けていただきました。
学校・保育園が臨時休校になり、ガソリンも確実に減っていき、店先でわずかな品を出して営業するスーパーなどを見、またラジオであちらこちらの様子を聴き進めるうちに、やはり多少は不安・・・というか、私は何をしたらいいかな?とそんなことを考え毎日を過ごしていました。

普段は図太い私ですけど、やはり友人からの"大丈夫?"の携帯メールが本当に心強かったです。
ありがとうございました。

自分の為に少し記録しながら、じゃあ自分は何をしていくのか、それも考えたいと思います。

遅くなりましたが、心からの御礼を、心配してくださった方々に届けたいと思います。
いつも、いつも、ありがとう。

2011年3月11日金曜日

田中裕千(ヤッチ)のライブ情報《3月・4月・5月》

ヤッチのブログがなかなか更新されないけど、、、あれ?花粉症でしたっけ?
違うか^^;
2月のSEAMUSライブがどんなだったか、それもちょっと見つけられず。
でも、こうしてライブの告知があるということは、ただそれだけでも、ちょっとうれしい。


以下ヤッチのブログよりコピーです。

3/19(土)天月
(湯川トーベンvo,b/田中”ヤッチ”裕千vo,g,/向山テツdr)
横浜 「THE CLUB SENSATION」045-241-3166 19:30 \3000/\3500(D別)


これはまた、違うサイトで見つけました。

4/2(土) ★向山テツPresents ~TETSU NIGHT~
神戸 「チキンジョージ」078-332-0146

出演:向山テツ(Dr) / 鈴木トオル(Vo) / DIE(Key) /
西田“MARCY”昌史(Vo) / PATA(Gt) /
天月【田中裕千(Gt) / 湯川トーベン(Vo.Gt.Ba)】 /
mintmints【石原“SHARA”慎一郎(Gt) / 寺沢功一(Ba) /
五十嵐“sun-go”美貴(Gt)】他
19:30
\6800/\7500
(D別)


これもまた違うサイトで。

★5/13(金) SEAMUS
@吉祥寺 マンダラ2
田中裕千(gtr)
清水淳(drms)
大土井裕二(bs)
小泉信彦(key)
武藤祐生(vln)

あら、ま。

自分のセンスの無さに涙。
せっかく書き入れたお花が、イマイチ。

昨日気づいたんだけど、甲斐バンド『目線を上げろ』のジャケット写真のあの場所、東京何とかっていう橋???今建設中の。
『目線を上げろ』の時はまだ足しか出来てないけど、昨日のTV映像ではもう一応くっついてましたね。
竣工まであと1年掛かるみたいですが。
・・・違ってたら恥ずかしいね^^;

恥ずかしいこと、もう一個。
『照和』で『黒い夏』の間奏の時、松藤さんがコーラスしてるじゃないですか。
アレはなんて歌ってるんでしょうか。
20年以上も前にダビングしたテープではコーラスが入ってるのか何なのかもわからないし。
(だから映画を観てコーラスが入ってること、初めてわかった)
LP聴ける環境にはしてないし。
スイマセン、CDは持ってなくて。
わかる方、いらっしゃいますか?

2011年3月9日水曜日

まったくさ~

この町は、守秘義務ってないのか!?
もうちょっと考えて欲しいものです。

2011年3月7日月曜日

わからん。

娘のアルプス一万尺はまだまだ大ヒット中ですが^^
そこのコメントが、こちらでは13件となっているのに表示は9件。
スパムも無し。
調べるか。。。
使ってて言うのもなんだけど、ブロガー、よくわかんないのです(恥)
もし、投稿してくださったのに表示されていない方がいたら、本当にスイマセン。

2011年3月6日日曜日

すすむ

2月末が締め切りだった、甲斐さんのソロツアー予約。
最終日のしかも2時頃に入金。段取りできないとか、片付けられないとか、そういう典型ですね^^;
10年ぶりくらいのファンクラブ枠なので、こんな早い時期からの囲い込みについていけない。
誘おうかと思った人もいたんだけど、あんまり先のことなので、やめちゃった。
いつも通り1人で申し込みました。
いい席でありますように。

あの日程見て思うのは、、、
機材運搬組は新潟発小樽行きフェリーかなぁとか、そんなこと。
そんなこと思いつく人は、若い頃北海道に入れ込んだライダーくらいかしら。
私は小樽発新潟行きだったけど。


昨日は新しい手帳が届き、うれしい。
松藤さんの誕生日、入れとこー^^

2011年3月5日土曜日

なんだった???

2月末から3月にかけ、何なんだ!?

急に夫が帰省してきた。めでたいことだ(一応)。
部屋のガラクタを物置に押し込める作業にとりあえず没頭する。
徹夜は辛うじて免れた。
後はどうってことない。子ども達は父ちゃんから1mと離れないんだから。いいこといいこと。
食事をね、一応豪勢に作ってあげようと用意しました。大体はきれいに食べていたので、良しとしましょ。

私の言動について、なんのおとがめもなかったから、合格?
ヨシトシマショ。
ケド、ホントニヨシ?

大変だったのは娘。女の子だねぇ。
父ちゃんが帰る前々日の夜、寝る前に「明日の次の日に起きたら父ちゃんは帰っていないから、明日はいっぱい遊んで」と言うとしくしく泣きだしたのです。
あらら・・・と思ってたのだけど、帰った夜、やっぱり泣きだしたのです。
いなくて寂しいんだって。
「水族館連れてってもらったでしょう」とか「プリキュアのシャツ買ってもらったでしょう」とかなだめつつ。
思い出しては泣き思い出しては泣きするので、次の作戦。
替え歌にはもってこいの♪さっちゃんで。

  ♪父ちゃんはね  〇〇ちゃんが大好き  ほんとだよ
   だから水族館に行って  ラーメン食べて だけど道を間違えた
   しょうがないね  父ちゃん

とかいうのを何曲も作って歌いました。
なんだかんだで、1時間近くかかって寝ました。
父ちゃんが好きって言うんだから、いいことです。